サンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂 ― 2012/11/13 08:52
サンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂
イタリア滞在の2日目(日曜日)はラベンナへのツアーに参加した。これは参加した国際会議の主催者が企画したもので、いわば「公式行事」とも言えるものである。
リッチョーネから30分ほどチャーターバスに乗ってラベンナに到着した。ガイドさんに連れられて到着した最初のスポットが「サンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂」であった。
イタリア滞在の2日目(日曜日)はラベンナへのツアーに参加した。これは参加した国際会議の主催者が企画したもので、いわば「公式行事」とも言えるものである。
リッチョーネから30分ほどチャーターバスに乗ってラベンナに到着した。ガイドさんに連れられて到着した最初のスポットが「サンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂」であった。
美しいモザイク画
ガイドさんはゆっくりとした英語で話してくれたので、何を言っているのか内容はよくわかったのだが、事前の下調べというか勉強をしていなかったため、いまいち納得出来ないというか、あまり頭に残らなかったのは残念である。特にキリスト教関連の基礎知識や、固有名詞を事前に勉強していると、彼女の話は大変面白かっただろうにと、今にして思えば。残念である。
ガイドさんはゆっくりとした英語で話してくれたので、何を言っているのか内容はよくわかったのだが、事前の下調べというか勉強をしていなかったため、いまいち納得出来ないというか、あまり頭に残らなかったのは残念である。特にキリスト教関連の基礎知識や、固有名詞を事前に勉強していると、彼女の話は大変面白かっただろうにと、今にして思えば。残念である。
東方三賢人
このモザイク画の一つ一つのピースが手作業で作られていると考えると気が遠くなる。
このモザイク画の一つ一つのピースが手作業で作られていると考えると気が遠くなる。
1つ目の建物からこれである。さすがイタリアの世界遺産。なんやかんや言ってもやはり歴史も含めてすごい国である。
ダンテの墓 ― 2012/11/13 17:38
ダンテの墓
サンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂から歩いてすぐのところに「ダンテの墓」があった。ダンテといえば「神曲」で有名なあのダンテである。
・・・ダンテと聞いてすぐに「神曲」は出てきたが、どんな詩なのかは全く分からない。まあ「神曲」という名前が出てきただけよしとしよう。
サンタポリナーレ・ヌオヴォ聖堂から歩いてすぐのところに「ダンテの墓」があった。ダンテといえば「神曲」で有名なあのダンテである。
・・・ダンテと聞いてすぐに「神曲」は出てきたが、どんな詩なのかは全く分からない。まあ「神曲」という名前が出てきただけよしとしよう。
内部に納められた棺
中はこじんまりとしていて、棺が中央に置かれていた。まあなんという事はないといえばそれまでの話である。
ガイドさんの話によると、ダンテはフィレンツェの出身ということで、ラベンナで亡くなったためこの地に墓があるが、フィレンツェからは遺骨の変換要求がずっと続いているが、ラベンナ側は拒否し続けているとのこと。まあ良くは分からないが、そういうことらしい。
正直な所、建物がどうだとか、内部がどうだとか、そういうものではなかった。ただ「ダンテ」というだけで、「すげ~!!」となったわけだが、そうなったのは「ダンテ」という名前を覚えていたからである。とりあえず中学校、高校とまじめに勉強した甲斐があったというものである。
中はこじんまりとしていて、棺が中央に置かれていた。まあなんという事はないといえばそれまでの話である。
ガイドさんの話によると、ダンテはフィレンツェの出身ということで、ラベンナで亡くなったためこの地に墓があるが、フィレンツェからは遺骨の変換要求がずっと続いているが、ラベンナ側は拒否し続けているとのこと。まあ良くは分からないが、そういうことらしい。
正直な所、建物がどうだとか、内部がどうだとか、そういうものではなかった。ただ「ダンテ」というだけで、「すげ~!!」となったわけだが、そうなったのは「ダンテ」という名前を覚えていたからである。とりあえず中学校、高校とまじめに勉強した甲斐があったというものである。
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